IE9ピン留め

座・岩☆ロック

iwarock2p.exblog.jp トップ

ま、ま、まさか☆

本日は自分の誕生日であった☆

二十歳の頃の自分は、27歳で死ぬと思っていた。
自分の大好きなカート・コバーンもジミ・ヘンドリックスも、ジャニス・ジョップリンも27歳という若さで死んでいたからだ。

今思うとなんともばかげた妄想なのだが、そのときは本当にそう思っていた。
そして今日迎えた誕生日・・・自分は三十路を過ぎている。
しかも35歳という齢に達してしまった・・・そう思っていた。

話は昨日へと遡る。
後輩で、二年ほど連絡がつかなかった元闇金の社長をしていたやつから連絡が来て、
昨年田舎へ戻り、しかも結婚もし、しかもしかも子供まで設けたという報せ☆

自分は嬉しくて何度も『おめでとう』と言った。

この後輩との付き合いはもうかれこれ15年近くなる。
そして昔話に話しを膨らました結果、自分ももう歳をとったぜというような話に入った。

明日は自分の誕生日という事もあり、

『俺ももう、35だぜ。』

そう投げかけると、

『え?何言ってるのお兄さん。俺、お兄さんの一つ下だよ。』
『何、んなこと分かってるよ。』
『俺この前33になったばかりなんだけど。』

訪れる静寂・・・☆

そして数える暦・・・・・☆

はじき出された数字は34という年だった☆

このとき自分の頭と心を繋ぐバイパスが渋滞した☆

何故なら昨年の10月21日から今日まで自分は34歳と言って生きてきたからだ☆

嘘だろ・・・・・・?

市役所に提出する書類にも、諸々訪れる書類の書き込みにも自分は昨年から今日まで、年齢の欄に34という数字を入れてきた☆

何かが崩壊する音が響く☆

そして34と思いこみながら生きてきた今日までの自分と今日から正式に34として生きる事になる自分の未来に喜びやら切なさやら、様々な思いが乱立し軽いパニック状態になる☆

これは喜ぶべきことか?
それとも昨年の今日から今日の今日まで34と豪快に当たり散らした自分の穴があったらはいりたい辱めに嘆くべきか?
迷いに迷いながら、今日自分の愛しの甥っ子の運動会があり、顔を出して甥っ子と遊び一日を終えようとしたら愛しの甥っ子がウクレレを持ち出し、なんとウクレレで演奏しながら、自分だけの為にハッピーバースデーを歌ってくれた☆

あまりの感動に自分は涙を堪えるので一杯で、今日という日を迎えられたことに、それを支えてくれた全ての人に対して感謝の気持ちでいっぱいになった☆

また今日から一年34歳を過ごすことになるけれども、これもいい機会だ☆
昨年できなかった事を今年成し遂げよう☆
そう思い、家に帰り酒を喰らいながら独りごちる雨の夜☆
# by iwarock-2p | 2011-10-22 00:48 | 座長の叫び | Comments(0)

堕落論☆

かの坂本安吾は自身の著書『堕落論』のなかで、
戦時中の日本という特殊な狂気に彩られた時代のなかで、
天皇制や武士道といった旧来の権威が制度化したシステム、
そして「貧しくても清らかに!」なんていう精神論に息づいたシステムによって「堕落だ」と弾圧否定されたことに対し
「欲しいものを欲しい」と言い、
「嫌なものを嫌だと言う」人間らしい生き方をあえて肯定した。
「堕ちよ」の言葉で、人々の意識が少しずつにではあるが変えていき、今では文学を語る上で坂本安吾という名前は重要になる程である。

だからというわけではないが・・・
村上春樹がノーベル賞を逃したからというわけでもないが・・・

ふと、一瞬でいい。
自分自身で感じられるほどの堕落を演じ、それを全身全霊感じてみたい。そう思った。
理由は特にない。

そんな事を言い出したら、未だに表現方法を模索するような自分の生き方は
既に堕落しているといってもいいが、そういうことではない。
堕落という概念は突き詰めていけば『だらしない』という言葉で括りきれる感じがするのである。
今でもだらしないとはよく周りに言われるが、それをなんとはなしではなく、
いちパフォーマンスとして実感したい☆

午前中の日差し眩しく降り注ぐ部屋の中に自分は一人。
見るモノも誰も居ない。ならばと。
だらしないと自分を自分が演じる事で、それを戒め、学び、そして人前に出るときに必要になるであろう威厳を養いたい。
というか養っちゃえばいいじゃない☆

秋の陽気が温かく、その温もりに包まれながら、そんな悪戯心を芽生えさす。
悪ふざけ・・・・・・ああ、そうだ。悪ふざけているのだ☆
そうとも悪ふざけなのだ。
人間何かを失わないと何かを得ることができないのだ☆

とりあえずトイレで用を済ませた後、降ろしたパンツ一式を挙げることなく動いてみた。
いきなりストレートに変態として名を馳せるような行動に、これぞ『だらしない』ではなかろうか?
そう思ったのも束の間、冷静に考えればこれはだらしないのではなく、変態だ。
もし仮にこの格好のまま外にでてごらんなさいな。直ぐ捕まってしまうではないか!

そう思うとこれはイキすぎている。
そうではない。だらしないとはなんだ?
とりあえずジーンズの前チャックを全開にしてみる。
・・・・・だらしないという事をパフォーマンスしようと実践に移すと、だらしないと変態の微妙でタイトロープな境界線が存在していることに気づく。
三十路を越えて実践に移すことでもない。いや、寧ろ移してはいけない。
だっていい大人なんだもの☆
自分は生まれてこの方、そんな大人を見たことがないもの☆

しかし男なら自分が言って決めたことくらい突き通してみたいと思うの。
ここで諦めるわけにはいかないのだ☆
よし、次はボタンを掛け違えてみよう☆
細部にわたり計算しつくした洋服をコーディネートしているのに、ボタンが掛け違い☆
・・・・・おお、大分近くなってきてはいないか☆
そうだ、いい感じにだらしないというパフォーマンスが成り立とうとしてきている☆

その後、自分は文章に残すのもくだらないようなだらしなさを思いつくまま演じてみた☆
今日という一日で、だらしなさという事に対し真剣に取り組んだのは世界広しといえども
俺くらいのものだろう☆
そしてある程度やりきり、普通の真人間に戻るべく散らかした部屋を掃除し、
掛け違えただらしなさ全て部屋の外に叩きだそうとしゃんしゃん手早く動いた。
ご飯も作った。風呂場も掃除した。布団も乾燥機にかけた。ゴミも出した。
よし、元に戻ったと食後に洗面所で歯磨きをしていた時、
衝撃の真実が目の前に拡がった。
右の鼻の穴から二本の長い鼻毛が揃って鼻息により揺らめいていた。

自分は膝から崩れ落ちた。
だらしなさを追求しようと演じた先ほどまでの時間の間この鼻毛に自分は気づくこともなく、のうのうと過ごしていたという事実。
正真正銘のだらしなさが自分の心も体も包んだ。
あっけなくも破壊力の強い一撃だ☆
坂口安吾が唱えた『堕ちよ』というフレーズが頭の中でリフレインする。
それでも人は立ち上がらなければいけない。
どんな困難な径でも人は立ち上がらなければならないのだ。

今日という一日は自分の人生の中のほんの一瞬だが、限りなく強い意志を目覚めさせるには充分な一日だった。

よし、ちゃんとしよう☆
# by iwarock-2p | 2011-10-10 22:14 | Comments(0)

夏☆肌身せ論

夏である。
誰がなんと言おうと夏まっ盛りである☆
久しぶりの日記ブログであるため、敢えて二度呟いてみた。
何時ぶりかと履歴を見てみると、忘れることの出来ない東日本大震災のあった3月が最後であるから、かれこれ4ヶ月近くブログから遠ざかっていたのだ。
時が立つのはいやはや早いものである☆

年が明けたと思ったら、もう一年の半分が過ぎてしまったような、まるで生きてるのか、死んでるのか分からないような暮らしをしていた気がする。
まぁ、今年も何だかんだがあったので、焦燥に日々駈られていたのもあるが、世間に対しこんなにも音信を不通にしていたのは自分でも珍しい方だ。
相変わらず腰が重い自分の不甲斐なさを感じずにはいられない。

とりあえず一行目に話を戻すとしよう☆
夏が真っ盛りである。
夏のファッションといえば他の季節に比べてキャミソール、ノースリーブタンクトップなどの肌の露出の多いものが隆盛をきわめるものと思うのだが、一つ腑に落ちない事がある。

それは男性の肌の露出に対する女性のシビアな目線である。
女性がキャミソールになるとほぼ万国共通で男は喜ぶ。
自分も恥ずかしいくらいのテンションで叫ぶときがあるくらいだ。
しかし男がタンクトップや、ノースリーブなどのアイテムを以て着飾ると、必ず賛否両論分かれる結果になる。
反対派の意見を聞くと、
『ナルシストっぽい』だとか、
『筋肉質がキモい』だとか、
『ゲイっぽい』だとか、
なんだか色々と出てくる。

別にこれ見よがしに肌を露出したいわけではないが、女性の露出に対しては万人が賛成唱えるのに男性は何故こうも障害が生まれてしまうのだろうかと思わざるを得なくなる。
しかも男は単純な細胞で構成されているためか、ファッション雑誌などでそんなコメントを目にすると、『モテたい』欲望に負けてへえこらとその意見に負けて受け入れてしまいがちになるのが、また何とも悔しく思ってしまうのだ☆

男だって涼しげな格好をしてもいいじゃないかと☆
夏なんだものと☆
ここで一つ男性のタンクトップや、ノースリーブの着用により起こる肌見せに乗じた女性の否定的意見に今一度考察してみたいと思う。


と大見栄を這ってみたモノの反対女性意見を一つ一つ見てみると、全く理解出来ない訳でもない。
何故か?それは、私達が生まれた時には既に構築されていた社会の構造に帰する可能性は大いに考えられるだろう。

社会は倫理観、道徳観、宗教観・・・等、様々な事象の『観』方(みかた)により出来ている。
そのなかでも特に宗教観というのは、時に人間の心を支え導いてくれる指針ともなる為、世界の深層に触れているのではないかと思われる。
そもそも、人間の創成、『アダムとイブ』の概念を世界各国に知らしめたのは、キリスト教であるのだし、何世紀にも渡って生き続けたのはやはり凄い事だと思う。
そんな着々と確実に受け継がれてきた宗教が生み出す倫理は確実に私達の体の中にも脈々と息づいていていることは否定できない。

その自分のなかに息づく倫理が、同性愛について壁を打ち立てているのだ。
それが即ち男女の肌の露出に対する違和感を作り上げているのではあるまいか?
しかし米国などでは、筋肉質であることが一種のセクシーさに繋がっている要因を考慮すると、この題例は日本特有の感性であるとも言えなくない。

しかし、男性と女性の体のフォルムを見てみると、男性には体の凹凸などが女性に比べて激しく、女性のような滑らかさが見られない。その滑らかさこそが女性の象徴であり、男性が異性に感じるエロスの象徴なのかもしれない☆
そうか、キャミソールなどはそんな女性の滑らかさを存分に発揮する召し物なのだ。
滑らかさを見るとふいに美しいという感情が芽生えるが、ゴツゴツとした岩のようなフォルムを見てすぐさま人は美しいとは思わない・・・その幾分かの違いが、他のどの国よりも日本の女性が鋭く察知しやすいということなのではないか☆

男はそんな滑らかさを世間の荒波から守るために己の体を鍛えてきているのだと考えると、女性に対し、そんな体のアプローチを日々あからさまに行うのもそれはそれで女々しい気もする。
大事なのは「わび」と「さび」☆
まさか千利休もこんなところで自分の唱えた「わび」と「さび」が引用されるとは思ってもいなかったかもしれない、それもまた四ヶ月近くも音信不通に溜め込んだ自分の成せる(極端ではあるが)「わび」と「さび」かもしれない。

で、散々堅苦しい言葉を配しながら語ってきたのだが、先日ファッションの一貫として、Tシャツの袖や襟を大胆に切って作ったシャツにベストを合わせて外を歩いていたら、小学生くらいの男の子の集団に「ケンシロウみたい」と言われた☆
「なにを!?」と。自分はスマートにキメたつもりだぞと思ったのだが、鏡で自分を見てみると、最近鍛えている体が予想以上にパンプアップされて、そこにジャストサイズの服を決め込んでいるからか、確かにケンシロウっぽくある自分がそこには映っていた。
それを素直に嬉しいとは思えなかった33歳の夏。
レッチリのアンソニーみたいと気に入ったファッションも次の日には普通の袖付きシャツを着ている自分がいた☆
# by iwarock-2p | 2011-07-31 07:41 | 未分類 | Comments(0)
< 前のページ 次のページ >
line

岩☆ロック座公式オフィシャルブログ


by iwarock-2p
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
XML | ATOM

skin by excite